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2019.01/02/03/04/05/06/07/08/09/10/11

2019年12月28日(土)
お稲荷さん

 今年は南稲荷講の年番です。今日は年番が集まり、境内の清掃、しめ縄張りなどお正月の仕度を行いました。お稲荷さんのお祭りは初午祭で2月11日ですが、お正月を迎える準備も行います。この境内には大きなケヤキの木が3本ありますので膨大な量の落ち葉が出るのですが、お隣の奥さんが日頃掃除してくださっていますので、今日はボランティア袋が8袋程度で終わりました。
 熊川神社に行き、しめ縄に吊す紙垂(しで)をいただいてきます。作業が終わると何となくお正月ムード。いい年が迎えられますように。
 夜は町会の歳末警戒パトロールに参加しました。26、27、28日の3日間、役員と理事それに防犯委員でパトロールします。私は町会役員以来もう20年ほどやっていますが、昔に比べ寒くないと感じます。現代の機密性に富んだ家では拍子木の音も聞こえないのではないでしょうか。町内を2班でパトロールします。10時前に終わり会館で一杯。こういう行事もいつまで続けられるんでしょうかね。

2019年12月27日(金)
久しぶりに出かけました

 久しぶりに奥と休みが重なり、正月用の野菜を買い付けに花園に出かけました。今日は奥にも運転を頼もうと軽自動車で、しかも一般道を通って深谷市まで行きました。高速を使えば半分程度の時間で着くのですがのんびり行こうよというわけ。
 お昼頃JA直売所に行きましたが品物も少なく、大根は諦めました。隣の温室に行き、寄せ植えとパンジーを24株(1300円)買って帰りました。秩父(正確には皆野町)の蕎麦屋で一休み。こんな時期すいているんですね。
 今日は早めに帰ろうと芦ヶ久保方面に向かいます。道の駅で何かないかと捜しましたがここも品薄。お店の人にこの辺りに棚田があると聞いたんですが、と聞くと近くですよと言われ行ってみることに。思ったより遠く、でも教えられた交差点を山の方に右折して暫く走るとそれはありました。横瀬町寺坂棚田という名前が付けられています。
 写真が一部の光景ですが、この時期は稲の刈り取りも終わり何もない状況です。でも写真の手前にある緑色の葉は彼岸花のものなので花が咲く頃はきれいかもしれません。畑に面した道路にはしつこいくらい駐車禁止の立て札が立っていますので見頃の時期には大変な状況なのではないでしょうか。


棚田の一部
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2019年12月23日(月)
検査

 8月に慶應病院で大腸内視鏡検査を予約しました。今日がその日、朝から下剤を飲みお腹の中を空にします。検査は2時半からなので1時前の電車で出かけました。
 この検査は7年ほど前に受けましたが、それでも緊張します。夏に受けた胃の内視鏡検査は麻酔を使ったため全く記憶にありませんが、今日は安定剤を注射しただけなのでカメラを入れる際とても痛かったのですが、声を上げるにまでは至りませんでした。
 モニターを見ながら医者の説明を聞きますが、ポリープが1個見つかり切除してもらいました。癌等は見つからず一安心です。30分ほど休憩し、精算して帰りました。医者の処方で検査を受けたため保険が適用されます。人間ドックで受けるより相当安く済みました。外は真っ暗、中央線は混むので西武線で帰りました。

2019年12月21日(土)
美術展

 福生高校(全日制)美術部から美術展のご案内をいただきました。毎年行っていますが、今年は今日、明日の2日間プチギャラリーの2フロアを使って展示が行われます。
 初日の今日、福生美術協会会長として武藤副会長と行ってきました。顧問の松岡先生にもお会いすることができました。今年は学校行事と重なり、2日間しかできないとのことでした。作品は素晴らしいものでした。ご家族の方でしょうか、会場は結構賑やかでした。
 右の写真は今年作成された巨大貼り絵の一部が展示されているところです。よーく見ると確かに細く切った短冊が貼られています。間近で見てもすごい。


貼り絵の一部
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2019年12月20日(金)
定例会最終日

 昨日お隣りのご主人から裏のお稲荷さんのケヤキの枝が折れて他の枝に引っかかっているが、だんだん落ちてきたような気がする。子どもが遊んでいるところに落ちたら危険だし、誰もいなくても鳥居や灯籠の上に落ちたら大変なので市役所に撤去をお願いして欲しいと言われました。
 今日の午後写真を撮り現役の頃役所に持っていった資料を作って施設公園課に持っていきました。調べてみると、2016年2月8日に同じような案件をお願いしていました。この時と同じ枝か定かではありませんが、同じ枝だとすると相当危ない状況にあります。何とかお願いします。
 資料を作っている間に本会議の中継をケーブルテレビで見ていました。陳情の審査報告が行われ、採決していました。採択と不採択の意見があったため起立による採決が行われました。その光景を見て正直驚きました。意見書提出に賛成(つまり陳情を採択)すると起立したのが正和会、自民党福生、共産党、立憲民主党で13名、反対すると着席したままだったのが公明党、ネットで5名、結果賛成多数で採択されました。こんな組み合わせは初めてではないでしょうか。
 陳情に対する個人的な意見は差し控えますが、国の動きを調査しての結果でしょうか。まさにこの勧告をはじめ多くの課題に対し国連の委員会からの質問に答えています。詳しくは調べていませんが、沖縄の問題以上に重い勧告がなされています。例えば、ジェンダー、ヘイトスピーチ、死刑制度、福島原子力災害、体罰などです。沖縄の先住民問題についても回答されています。このような地道な活動が国連委員会の理解を促進することになると思うのですが、先住民の問題だけ取り上げ意見書を出すのはいかがなものでしょうか。
 と言うより、賛否に関する会派の組み合わせに驚きました。議員を勇退した身でとやかく言うのもいかがなものかと思いますが、来年は市長選挙、都知事選挙が執行されます。うまくやってくださいな。


折れた枝が
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2019年12月17日(火)
何もない一日

 今日は久しぶりに何も予定が入っていません。このブログのメンテナンスをして、昨日(16日)の記事を書いているときにネットを調べたら、日テレNEWS24で「警視庁と米軍司令官らがパトロール 福生市」との見出しで動画が配信されていました。右の写真がそのハードコピーです。動画のスペースが小さいため、また元が動画の画面のためよく分からないかもしれませんが、拡大すると横幕の隣りに加藤市長が写っています。また、緑のベスト集団の中に私も写っていますが、まず分からないでしょう。
 動画を再生すればどんなメンバが参加したか分かるし、飲み屋街を歩く集団の様子が分かります。残念ながらストリームデータを録画できるソフトを持ち合わせていないので紹介できませんが、運が良ければ見られるかもしれませんね。地方→関東→東京と進むとまだメニューに残っていました。
 奥と愛犬をペットクリニックに連れて行き、混合ワクチンを注射してもらいました。ついでに健康診断と爪切り、うちのワンコは家ではいやがって切らせません。さすがプロ、騒いでいるようですがチョッキンしたようです。親指の爪が伸びすぎて肉球に食い込んでいたのでもう少し繁く通ってくださいと言われました。家に帰ってどうも落ち着かないようす、でもそのうち慣れるでしょう。


ニュース配信
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2019年12月16日(月)
防犯パトロール

 今日は朝から会社に出て経理のお仕事、具体的に12月の給料計算と年末調整を行いました。今年から配偶者控除が厳しくなり、「給与所得者の配偶者控除等申告書」に本人及び配偶者の合計所得見積額を記入する必要があります。これにより、配偶者控除額が決まるわけで1万円から38万円となります。
 私の会社では社員がみんな独身ですので関係ありませんが、私を含め役員は奥さんがいて仕事はしていません。が、いずれも配偶者控除が受けられない状況でしたので何とかなりました。令和2年度もこの制度が変わりますので注意しなければ、と思った次第です。
 夕方、家に戻り福生駅西友前のペデストリアンデッキまで出かけました。本日夜8時より防犯パトロールが行われるので、防犯委員は出席して、と言われ帽子、腕章、ベストを着けて現地に入りました。写真は現場の様子で、大勢集まっていました。警察(警察犬も)、消防、税関、防衛局、地元町会、防犯委員、市役所それに米軍横田基地など多方面に渡っています。テレビカメラが見えましたが、NTVが取材に来ていて明日朝4時から放映されると聞きました。とても見られないと思い諦めました。
 挨拶のあと、西口商店街から銀座通り、いなげやの横から駅南側の踏切を渡り、シュトゥーベン・オオタマの横を通り、繁華街を抜けました。道が狭く、2列で歩くため隊列の長さは80mを超えていました。出発点に戻り、市長、司令官、警察署長の手締めで解散しました。思ったより寒くなく、インパクトのあるパトロールでした。お疲れさまでした。


集まった人々
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2019年12月13日(金)
保護司のお仕事

 地区保護司会では羽村駅東口から歩いて数分の市役所通りに面したマンションの1階の一部屋を借りてサポートセンターを運営しています。常任理事以上の役員が交代で留守番を行います。私は下っ端の常任理事ですので月に1日当番が回ってきます。
 12月は今日がその日ということで朝10時からセンターに詰めます。写真がセンターの内部で、ワンルームの狭い空間ですが少人数の会議も行います。仕事は、電話・メール・郵便物のチェック、各部の仕事、保護司からの問い合わせ対応などです。今までは研修部長等とコンビで当番をこなしましたが、今日は初めて一人。でも電話が1本あっただけでした。
 報告書を何通か仕上げて担当にメールを送り、午後4時半に任務終了。帰りがけ、先日顕彰式典で表彰を受けた福生分区保護司のお宅を回り、賞状と記念品を届けました。結構仕事があるものです。


サポートセンターの内部
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2019年12月12日(木)
忘年会に

 今年も福陽会の合同忘年会に招かれました。フォレストイン昭和館のシルバンホールに一杯の来賓、業者、職員さんらが参加しています。
 写真は田村理事長の挨拶の様子です。ご子息の副理事長が代読されました。その後、統括施設長がご挨拶。厳しい口調でご自分の考えを述べられました。お土産に渡された袋の中にその想いを語られた文が入っていましたが、施設長はじめ職員のこうあるべきと言った心構えが書かれていました。これから益々重要な役割を担わされる施設を運営するということは大変なことだと思います。サンシャインビラの益々のご発展を祈念します。


理事長のご挨拶
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2019年12月10日(火)
保護司のお仕事

 午後、福生市サポート会議に出席しました。会議の内容は機微情報も含まれますので報告できませんが、何だか学校の様子が変と感じたのは私だけでしょうか。
 各小中学校からの情報提供のあと、各種団体からの報告があります。保護司会としても指名されますので発言させていただきました。第4回市議会定例会における石川議員の一般質問に触れ、「不登校特例校分教室」の開設について紹介しました。
 その中で、「分教室ができて、生徒をそこに登校できるようにするのは誰なんだろうか?言い方は悪いが、それを学校だけに押しつけるのは不自然。やはり家庭に入り込める福祉保健部、子ども家庭部の力が必要ではなかろうか。」と発言したところ、協議会だよ、という声が聞こえたような気がしました。「福生市要保護児童対策地域協議会」のことでしょうか。保護司会からも代表者委員を送っていますので聞いてみましょう。教育委員会と子ども家庭部の連携を超えた対応を期待、というより組織の統合が必要ではないか、と最後の一般質問で訴えましたがそこまでは難しいんでしょうね。
 今日のサポート会議は1時間にも及びました。終わって急いで羽村に向かいました。今日は第2回新任保護司研修が行われています。途中から会議に合流し、意見も述べさせていただきました。最後に研修部副部長として閉会の辞を述べさせていただき解散しました。続いて研修部会、第V期定例研修を残すのみとなり、今年度行われた各種研修に対して意見を出していただきました。来年度の研修計画に反映させます。その後は研修部忘年会、会長も出席し賑やかに意見交換をさせていただきました。瑞穂町の保護司の先生が、学校の校長先生をやっていらして、私が市議会議員をやっていたことを知ると誰々が教え子だとか、今度会ったら聞いて見よう。

2019年12月8日(日)
保護司のお仕事

 先日の理事会でいくつかのチラシなどを持ち帰りました。午前中、メモを作成して班長さんのところに届け配付していただくことにしました。
 家に戻り、今年は稲荷講の年番ですので正月、例大祭の準備の日程等を決め案内状を作成しました。明日年番の家に届けます。
 午後、天気がいいので庭の掃除。まず、夏にグリーンカーテンを作ったネットの片付け、屋根に溜まった欅の落ち葉掃き。
 そうこうしているところに息子と孫が来ました。ママが仕事でいないので遊びに来たとのことです。庭の掃除を手伝ってくれたので、薪を燃やしてお芋をやきました。とても美味しかったのでママにお土産。
 奥が9月生まれ、孫が10月生まれ、私が11月生まれ、息子が12月生まれということでスシローに行き合同誕生祝いを行いました。それにしても孫(小5)の手際よさ、食べっぷりに驚くだけでした。成長したもんだ。

2019年12月7日(土)
美術協会会長として

 午前中は会社の仕事で終わりました。
 午後、武藤議員(美術協会副会長)と連れだってプチギャラリーに出かけました。栗原一郎画伯が市に寄贈した作品の展示が行われています。
 会場には大きな絵から手頃な大きさの絵までたくさんの作品が展示されています。どれも一目で栗原画伯の作と分かる絵です。残念ながら記念写真は撮ることができませんでしたが、いい気持ちで帰れました。
 夜は町会の総合委員会に出席、暮れの防犯パトロールの担当を決めます。今年も師走になったんだなー、と感じました。因みに南町会では26、27、28日の3日間午後8時から町内パトロールを行います。寒いんですよね。

2019年12月6日(金)
保護司のお仕事

 今日は立川グランドホテルで多摩地区保護司会連絡協議会(多摩連)受賞祝賀会が開催され、西多摩地区保護司会から7名の役員が出席しました。このような会に新米の常任理事の私が出席する理由が分かりませんが、あいつなら行ってくれるだろうかな?
 西多摩から3人の保護司が法務大臣賞、2人の保護司が全国保護司連盟事務長賞を受彰されました。多摩全体では叙勲、褒章を合わせ70名にも及びます。本日は50数名の方が出席されました。
 写真は会場の様子で、遠くでわかりませんが多摩連会長が挨拶を行っているところです。私はこのような席にはビギナーですので殆どの方と面識がありません。隣のテーブルが八王子地区で、たまたま議員のときに良くお会いした方がいらしたことからやっと言葉を交わすことができました。
 終わってみんな連れ添って帰りましたが、私はお世話になった方から喪中のはがきをいただきましたのでデパートに立ち寄りお線香を送らせていただきました。また、来年の干支のネズミの張りぼてを買って帰りました。


会場の様子
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2019年12月5日(木)
保護司のお仕事

 今日はあきる野市役所で開催された西多摩地区保護司会理事会に出席しました。分区長は常任理事です。
 市役所に着くと入口であきる野分区長が待っていました。なぜ?と聞くと午前中議会の傍聴者で駐車場が混雑したため案内しようと、とのことでした。
 ロビーに入ると議会の様子が中継されています。一般質問が行われ、村木市長の答弁をお聞きしましたが原稿もなくあっさりと答えていました。議場に行きたかったのですがお役目ですので研修会場に向かいました。

 40名近い保護司が集まる大きな会議です。写真は自席から撮ったもので、中村会長が挨拶をしているところです。
 このあと議事に入り、報告事項、今後の活動内容などが協議されました。
 終わって一旦家に戻り羽村へ。分区長会議のあと懇親会が開かれ、8分区長全員が参加しました。男性が4人、女性も4人、お酒も入ると話も弾みあっという間に2時間が過ぎました。2年間よろしくお願いいたします。


会場の様子
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2019年12月4日(水)
保護司のお仕事

 午後、西多摩地区保護司会の研修会が青梅市福祉センターで行われました。私は研修部副部長を仰せつかっていますので早めに会場に行きました。
 写真は会場の様子で主任保護観察官が説明してくださいます。西多摩各地から多くの保護司が参加してくれました。研修を受けて「刑の一部の執行猶予制度」が理解できました。2年ほど前に始まった制度で、特に違法薬物の使用などで刑の執行を言い渡された人が対象に終わりに近い数ヶ月刑の執行を猶予し、その間保護観察を受けるものです。
 数ヶ月の猶予の代わり、2年ほどの保護観察を受けるわけですので人によっては猶予されずに満期まで入っていた方がいい、と言うこともあるそうです。でも、刑務所にいるより早く外に出られるわけですから、しかも保護司、保護観察官のサポートが受けられるわけですからいいですよね。その間、種々のプログラムが用意され復帰が早まると思われます。
 終わって主任観察官ともあまりお話が出来ないからと研修部員を集め、青梅市役所隣りのデニーズに寄ってお茶しました。あんみつ等をつまみながらコーヒーを飲みました、何だそれ。観察官と親しく話す機会も貴重なものです。


研修会の様子
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2019年12月3日(火) その2
市生会忘年会

 夜は幸楽園で市生会の忘年会に出席しました。市生会は町会長・自治会長のOB会です。年に2回集まりますが、忘年会はいつも幸楽園で開かれます。今夜は会長が体調を壊し欠席、でも多くの会員が集まりました。。
 写真は会場の様子で来賓としてお見えの加藤市長がご挨拶しているところです。来賓のご挨拶も終わり、地酒で乾杯に続き懇親会。だいぶお酒をいただきました。
 終わって久しぶりに歩いて帰りました。


会場の様子
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2019年12月3日(火)
一生に一度

 今日から第4回定例会が始まりました。傍聴に行かなければ、との思いもありましたが会社に出勤して仕事を。昼前に奥から電話があり、これから皇居に行くので会社の近くで待ち合わせよう、との誘いが。
 皇居では先日執り行われた大嘗祭に使われた大嘗宮の一般公開が6日まで行われています。誰かを誘って行きたいと言っていましたが誰もお友達になれず、今日しか開いていないとのことで誘われたものです。
 会社の最寄り駅は地下鉄丸ノ内線の四谷三丁目ですのでホームで待ち合わせました。入口は坂下門、皇居の南の外れになります。丸ノ内線なので霞ヶ関駅で降りて行くことにしました。東京保護観察所のある法務省の建物にはよく行きますが、横目に見ながら日比谷公園、こちらも議員のときに道路大会に出席するため良く来た場所です。
 入口前の広場には平日にも拘わらず大勢の人が門に向かって歩いて行きます。途中手荷物検査を受け、いよいよ坂下門をくぐって皇居の中に入ります。宮内庁の建物の前を進み、敢えて遠回りして乾通りを進み西桔橋から皇居東御苑に入りました。ちょうど紅葉が見頃で、四季桜も咲いています。途中、議長会で天皇拝謁を受けた際通り抜けた門があり懐かしく感じました。
 いよいよ大嘗宮が見えてきましたが、敢えて通路を長くしているようで目の前に来たところで、ここから80分待ちとのアナウンスが流れました。途中諦めて帰る人もいましたし、具合が悪くなり職員が車いすで運ぶ姿も見られました。上の写真があと一歩という場所で相当混雑しています。押されながらも警察官(DJポリス)の勧めで押されながら見学しました。下の写真は大嘗宮の裏側になります。古代建物と、オフィス街の近代建物が重なって見えます。
 テレビで見たときも感じたのですが、この建物に何億円もかかるのだろうか、と感じました。柱が細い、節が多い、屋根は板張り(?)、でも中は豪華なのかもしれません。何しろ、内部は天皇・皇后しか入れません。
 いずれにしても私にとって一生に一度しか見られない建物でしょう。なにより天候にも恵まれ、石川議員には申し訳ありませんでしたがいい経験でした。今日の歩数計は15,992歩、よく歩いたというより、よく歩かされました。


正面の人混み
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新旧建物のコラボ
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2019年12月2日(月)
今日の新聞から

 朝刊のオピニオン欄(ページ)に「離婚後の子 どう守る」という記事が載りました。この記事は養育費不払いと子どもとの面会の問題を取り上げています。このブログでも訴えていますが、養育費不払いに関して世間の目が傾いてきたということでしょうか。
 夫婦の3組に1組が離婚する時代。親が離婚した子は20万人を超え、1950年の約2.7倍に増えた。母親が引き取ることが多いが、母子家庭の7割超は養育費を受け取れず、とあります。池田議員が主張する貧困家庭のどのくらいがこのような家庭なんでしょうか。
 離婚後の親子をめぐる状況として図が多用されています。いずれも厚生労働省が2016年に調査したデータを参照しています。特に右の写真に示した養育費のモデルケースに興味が湧きました。厚労省では調査の結果を「平成28年度全国ひとり親世帯等調査結果報告」として公表しています。
 裁判所のホームページには「養育費・婚姻費用算定表」という資料があり、家庭裁判所において、養育費又は婚姻費用の算定をする際に参考として活用している資料です。と説明されています。養育費の算定表は縦軸が義務者の年収(給与、自営)、横軸が権利者の年収(給与、自営)となっており、子の数と年齢ごとに作成されています。
 養育費は0〜1万円から18〜20万円まで義務者と権利者の年収の交点にその額が示されています。これをもとに作成されたと思われる絵が右に示したものと思われます。この絵は14歳以下の子ども2人を妻が育てる場合で、夫の年収が500万円、妻の収入が10万円のケースでは6万〜8万円/月となっています。妻の年収が500万円であっても4万〜6万円となっています。夫の年収が1千万円、妻の年収がない場合の養育費は14万〜16万円です。が1千万円を超えるケースでも養育費を払っていない夫もいるようです。
 本来、養育費を払っていない場合の対応は裁判所で行政が立ち入るのはいかがなものか、との意見もあるようですが、同志社大学の教授は行政の関与はハードルではない、と言っており、豪州では養育費対策法を80年代後半に制定し、近年の徴収率は養育費支払い総額の97%にのぼる、とあります。安部総理は2016年の参院決算委員会で「子どもの貧困対策は未来への投資であり、国を挙げて推進していく」と述べており、もっと力を入れて欲しいものです。離婚の際、養育費に関して公正証書を作成しその履行状況を確認することで池田議員の訴えておられる給食費は出せるのではないでしょうか。。


養育費のモデルケース
朝日新聞の記事から
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2019年12月1日(日)
師走

 とうとう今年も師走を迎えました。令和元年としていろいろな行事も行われましたし、国会では本来審議して欲しい議案の前に桜の問題で揺れています。
 いい天気だったので、玄関先の落ち葉を集め積み上げました。写真がその模様です。これに米ぬかを混ぜると発酵が進み来年には腐葉土として使えますし、ひょっとしたらカブトムシの幼虫が育つかもしれません。ある意味自然を満喫しています。
 先日町会から訃報が回ってきました。それも2通、いずれも今夜がお通夜です。仲間の車に乗せてもらい瑞穂斎場に向かいました。お一方は家族葬とのことでしたが、弔問に伺うと受付ができていましたので香典を納めていただきお線香を上げさせていただきました。奥さまにはお目にかかれませんでしたが最後のお別れをするこができました。
 もうお一方は89歳の奥さまでご子息は都職だったことから大変お世話になりました。残念ながら現職で亡くなられましたが、道路のことをいろいろ教えていただきました。久しぶりにお母さんに会えるのかな、なんて思いながらお焼香させていただきました。合掌。


積み上がった落ち葉
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